「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆく道で、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、僕はあのときずいぶん悔しかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、紺の脚絆に手甲をした。
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでしょう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花はもうとうに枯れちゃったでしょうね、
そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩キリギリスが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでしょう、
昔、つやつや光った、あのイタリア麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を埋めるように、静かに、寂しく。」

詩人 西條八十(さいじょう やそ)の「僕の帽子」という詩です。

僕の少年時代にテレビからこの詩の冒頭部分「母さん、僕のあの帽子~」が映画CMのキャッチコピーとして流れていました。                   

ですが、当時の僕にとってCMなどどうでもいい事で、              
そんな事より絆創膏を貼り付けた膝小僧の擦り傷が何時ごろ治るんだろう?だとか、
僕愛用の虫捕り網では届かない高い場所で鳴いているセミと明日はどのように闘おうか、といった事の方が 
よっぽど重要で切実な問題でした。   
ですから、当然この詩の事などすっかり忘れていました。

そんな折、ふらりと立ち寄ったCDショップでDVDのパッケージを見掛けた瞬間、
僕の桃色の脳に「母さん、僕のあの帽子~」のフレーズがフラッシュバックしたのです。
当然のようにそのDVD「人間の証明」を購入した僕はすぐに帰宅して鑑賞したのは云うまでもありませんし、
その内容が良く理解できなかった事も云うまでもありません。

ですが、この映画の作品全体から匂い立つ「昭和の香り」には、問答無用で過去に引き摺り込まれるような、
ちょっとしたトリップ感が有ります。        
それは作品製作当時の意図とは全く異なる副産物なのでしょうが、僕は其処に少し感じてしまいます。

振り返れば「あれは幻?」の様な少年時代に刷り込まれた記憶が
時間を超えて僕に「あの映画を観ろ」と突き動かす。                        
すごいな、昭和のパワーって。

ありがとう、昭和。                                      
さようなら、昭和。                                      
こんにちわ、21世紀。                                   
いってらっしゃい、宇宙旅行。                               
新婚さん いらっしゃい。←これも昭和の記憶。


最後まで読んでくれたアミーゴたちへ「どうもありがとう」                
思っていた以上に意味の無い文章でビックリしたでしょ、無駄な時間を使っちゃったね                
僕、こういうの永遠に書き続けられるよ、書こうか??                                 
ぼひひひひ。